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![]() ![]() 私の入門したのは“極真”という荒手のでした。当時、“キックブーム”があり、それに乗ってこの空手も伸びていきました。テレビで新たに番組を作る時に、“極真”に選手派遣の要請が来たのです。先輩は、その前に他局に出ていたので、添野君と私が出ることになりました。その時、私が勝ったので、私が注目されてしまったのです。それで、“極真”が悲願の全日本が東京体育館で開けたのです。その時も、私が優勝しました。これが、極真空手が世に広まったきっかけとなりました。ですから、空手が先でキックが後と思っている方が多いのですが、実際には、キックが先で空手が後なのです。 私は、本来試合は好きではないのです。何故、このようになったかというと、“極真空手”では、館長に「押忍」しか言えません。YES、NO、その他自分の意思に関わらず「押忍」しか言えないので、添野君とこの話を聞いた時も、「押忍」しか言えなかったのです。添野君はやる気満々でしたが、私は、連れられてやった感じです。全日本の後に、私はプロデューサーに「やりたくない」と言っても、館長には「押忍」しか言えないので、話が決まってしまうのです。結局、自分の意思ではなく10戦もしてしまいました。 私は、大山倍達に出会って、伸びたのだと思います。今、子供達が荒れていますが、何を言っても「押忍」しか言えない環境、反論させずに黙って聞かせるパワーが社会にはないと思います。私も子供達に空手を教えていますが、その部分を教えるのは非常に難しいです。私達は、喧嘩で負けて泣いて帰ると、怒られて家に入れてもらえませんでした。今は、まずそういうことはありません。そういう意味でも、育った環境が全然違います。「日本には武士道精神がある」と言われますが、口で言うほど、教えるのは簡単ではありません。 先ほどの「押忍」も、今の子供達はほとんど意味を知らずに使っています。その意味は「耐え難きに絶え、忍び難きに忍びあらゆる苦しみに打ち勝つ。目的を同じにするもの互いにがんばろう。目上の者に対しては、敬意を払い、目下のの者には面倒を見る。」です。これを教えられた意義を植えられた上で、使うのです。この意味をいっている人は少ないと思います。 大山倍達はいつも「君達に世の中に出て行くための環境を作った。 やるかやらないかは、君達自身の問題だよ。」と語っていました。その言葉の意味が分かった今、私は空手を教えることを通して、こういう環境を子供に作るのが、大人の役割ではないかと思うからです。子供達に環境を作りたいので、何十年もボランティアで空手を教え続けて来たのです。私達の年代だと、“無料”だと有難いと思うのですが、今は、有難いと思わないようです。その中で、“武士道”の良さを教えることの結論は、未だに出ていません。 |
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